備忘録_1お葬式の段取りと四十九日まで
先日長らく入院していた病院で、コロナに院内感染してしまい、父が亡くなってしまいました。
四十九日を終え、少し落ち着いてきましたので、まだ必要な手続きなどは残っていますが、これまでの備忘録を残したいと思います。
家族が亡くなった時、思考回路もおぼつかない中でお葬式の準備など様々な決断を、瞬時にしていかなければなりません。
四十九日までの法要、相続の問題や遺品整理などもしていかなければなりません。
我が家の場合は、相続税がかかるような遺産もなく、家族構成もシンプルでしたので、自分達でできたことが多かったと思います。
宗教や宗派、お住まいの場所や家族構成、相続するものによって手続きの複雑さは様々だと思いますが、何かの参考になれば幸いです。
父が亡くなってから
夜中に父が亡くなってからお葬式、四十九日、申請書類などの事務手続きの流れはこんな感じでした。
その日のうちにしたこと
- 夜中に病院から死亡の電話
- 葬儀屋さんへ連絡
- 葬儀屋さんと打ち合わせ
お葬式を終えるまで
- 葬式についての打ち合わせ
- 写真、副葬品の準備
- お通夜、夜伽、お葬式、初七日
お葬式後にしたこと
- 四十九日までの法要
- 司法書士、ファイナンシャルプランナーとの打ち合わせ
- やることリストを作成する
- 各種書類の取り寄せ、作成
- 役所等への届出
- 遺品の整理
夜中に入院先から死亡の連絡
年が明けて九日目、真夜中に母の携帯を鳴らした電話。それは、まさに寝耳に水でした。
病院から連絡が入った時点ですでに父は亡くなっていて「死亡診断を医師にしてもらってもいいか」という確認の電話でした。
死因を聞くとコロナ院内感染とのこと。
・・・いや、聞いてませんけど。コロナが院内で発生してること。
反対側の病棟でのクラスターだったようですが、不幸にも父のいた側の病棟では、父がただ1人感染して亡くなってしまいました。
そもそも院内にでコロナが発生、クラスターが起こっていることも連絡がありませんでしたし、年明けに面会したい旨の電話をしたときも「面会は無理です」の一言だけで、何の説明もありませんでした。
・・・そんなものなのでしょうか??
聞かされたところでどうすることもできなかったかもしれませんが、亡くなってから知らされるなんてあんまりだなと思います。
深夜に葬儀屋さんと打ち合わせ
亡くなったと聞かされても、コロナ感染後の死亡なので、会うことも迎えに行くこともできません。
「葬儀屋さんに迎えにきてもらえるか確認をして連絡をしてもらってください」
父は生前から公益社の会員のようなものになっていたので、こちらでお願いすることにしました。
深夜の電話にもテキパキと対応していただき、日付が変わった2時すぎには、担当の方が打ち合わせに来られました。
寝入りばなだったことも相まって、展開の速さにこちらの思考が追いつきません。
コロナ感染での葬儀の選択肢
この打ち合わせでは、病院へ父を迎えに行くための、同意書と委任状へのサイン、僧侶について、どういう見送り方をするのかということの確認がありました。
コロナの初期から2022年の年末ごろまでは、コロナ感染で亡くなった方はお葬式も難しい状態でしたが、幸い年が開けて徐々に緩和されてきたために、父の時には3つの選択肢がありました。
- 火葬のみ
- 火葬後にお葬式
- エンバーミングをしてから、お通夜、お葬式、火葬
エンバーミングとは、遺体を消毒し衛生的に保つことで生前の面影を残したまま葬儀ができるようにする処置だそうです。
コロナ感染ではなくとも、きれいな状態を保つために施されることもあるそうです。
しかし、コロナ感染後の場合は、PCR検査でコロナ感染の反応がなくなるまで処置をしてから、安置されるとのことでした。
電話での打ち合わせ時に、この3つの選択肢が提示されていたので、家族で考える時間は2時間ほどありました。
深夜にラインのグループ電話で話し合い、どれにするかを決めました。
エンバーミングの処置は高額でしたが、一度も父の顔を見ないまま見送ることは考えられなかったので、家族一同、3番目の「エンバーミング、お通夜、お葬式をしてからの火葬」を選びました。
その場で、エンバーミングの予約と葬儀場、火葬場を押さえてくれ、1週間後にお通夜ということになりました。
この後、棺と布団、僧侶のことを打ち合わせ。
僧侶は、いつもお世話になっている方にお願いすることにしましたが、決まっていない方は紹介もしてくれるそうです。
詳しいことは翌日に別の担当者が来られて説明されるとのことで、打ち合わせの後、そのまま病院へ父を迎えにいってくれました。
死亡診断書と役所への死亡届はこの方がしてくれました。
葬儀の打ち合わせ
その日の午前中に担当の方が来られ、家族が集まって葬儀の内容の打ち合わせをしました。
- 棺と布団の選択
- 祭壇の選択
- 遺影の用意
- お通夜、お葬式の参列者数
- 返礼品の選択
- 供花等の数
- 通夜振る舞い、精進落としの選択
棺と祭壇
棺と布団は深夜の打ち合わせで決めていたはずなのですが、どういうわけかここでも選ぶことになりました。
・・・なぜ2回選んだのか説明を聞きましたが、いまだによくわかりません。
祭壇はピンからキリまで5種類ほどありましたが、下から2番目のにしました。
帰られた後、どんな祭壇だったかを確認しようと思い連絡しましたが、パンフレットや写真は渡せないとかで、結局当日に見るしかありませんでした。
・・・なぜ、一度きりしか見せてもらえないのかもよくわかりません。
実際の祭壇と違うところがあるとクレームがきたりするのでしょうか、、?
遺影
遺影は10年くらい前にまだ元気だった頃の笑顔の写真を選びました。
商売人だったのでトレーナーにジャンパー姿です。トレーナーの内側から中の下着の白いシャツが覗いていたのを母が気にしていたのに、この時に消してくださいとお願いするのを忘れてしまいました。
出来上がった遺影はしっかり白シャツがはみ出たまま、、、😂
葬儀後、アフターケアの担当者さんに葬儀の感想を聞かれた時に、このことを伝えましたら、祭壇に飾られた直後(お通夜数時間前)ならば、修正は可能だったかもしれないということでした。
私は、父らしくていいのではと思いましたが、母は気になっていたようです。
遺影写真を預ける時に、写真の補正などのリクエストがあれば、お願いすると修正してもらえると思いますので、渡した後からでも気づいたことはお願いする方がいいかもしれません。
参列者の数と返礼品
参列者の数は、椅子の配置や式場の大きさを決めるのにも必要だと思います。我が家はほぼ親戚だけの家族葬のようなものでしたが、その割には式場は少し大きめだったかなと思います。
予約した会館にはそこまで小さな式場はなかったのかもしれません。
お通夜、葬儀に来られた方へお渡しする返礼品に関してはカタログで決めましたが、1箱単位で一旦購入しますが、精算時には使った数だけの金額でよかったです。
思いもかけない方がお通夜後にも何人か来ていただけましたので、数を気にせずにお渡しできてよかったです。
供花、通夜振る舞い、精進落とし
これらは、説明はこの日聞きましたが、個数などの詳細はお通夜の日の午前中に連絡することになっていました。
供花と果物とお菓子の花籠を家族、親族がそれぞれしてくれました。
会場が少し大きくて寂しかったのが、沢山の供花でとても華やかになりました。
お菓子や果物が好きだった父のために孫たちがしてくれた花籠も立派でした。
お通夜の後にいただく精進落としは持ち帰る方もおられたので、お弁当にしてもらいました。
火葬の間にいただく精進落としはお魚嫌いな方もおられたので、お肉もあるような内容にしました。
僧侶へのお布施の用意
お通夜、お葬式、斎場、初七日と読経いただく僧侶へのお布施ですが、これはいくらにしたらいいのか本当にわかりませんでした。
葬儀屋さんは、お寺に聞いてくださいと言われるし、お寺に聞くと「お気持ちだけですので、いくらでもかまいません」とおっしゃいます。
葬儀の時には「お布施と御膳料、御車料」を渡すのが一般的なようです。
親戚の話や、葬儀屋さんの反応を見て金額を母が決めました。
定価はいくら、みたいなものさしがほしいものです。
以上が打ち合わせた内容になります。
亡くなった後も一度も父の顔を見れていません。
それでもお葬式の準備は進んでいくので、夢か現か、悲しいのか、感情の置き場に戸惑うような数日間でした。
お通夜→初七日まで
エンバーミングの処置や式場の予約の都合上、お通夜は1週間後になりました。
お通夜の時間の4時間ほど前に副葬品などの荷物をもって私と弟が先に式場へ到着。
その後、共花の名前や通夜振る舞い、夜伽などの打ち合わせを式場の葬儀担当者としました。
弟が母を迎えに行った後、しばらくして祭壇を見ることができました。
花に囲まれた父の遺影を見た途端に「あぁ、父は亡くなったのだ」という実感が込み上げて、涙が溢れてきました。
遺影の写真を撮って母に送るとすぐにラインが。
「白シャツ見えてるやん!」
言われるまで気がつきませんでした💦
その後、棺に入った父が葬儀場に到着しました。
エンバーミングのおかげで死後1週間たってもとても綺麗ないい顔をしていました。
死化粧をするにあたって、「お顔をふっくらさせますか?」と聞かれましたが、「自然のままでかまいません」とお願いしました。
長い入院生活で痩せてしまった父の顔は頬もくぼんでいましたが、おだやかで綺麗な顔だったので、自然な感じのこのままでよかったと思います。
家で準備した一膳飯とお箸を持って母も到着しました。
一膳飯は「愛用のお茶碗で」と言われましたが、父は後年ほとんど白ごはんを食べませんでした。
毎日炭水化物といえばおやつパンだったので、父用のお茶碗はありませんでした。
通っていたデイサービスのお誕生日プレゼントでいただいたお茶碗はハートの絵が描かれたかわいすぎるものでしたし、どれにするのかちょっと困りました。
副葬品
副葬品は、生前の写真、母の希望で着物、スーツ、杖、私の希望で本を一冊入れました。
本は寺田寅彦の全集の中の一冊です。分厚い本は断られるようですが、薄いものなら一冊くらいは入れてもいいそうです。しかし、燃えやすいように広げて入れてくださいと言われました。
この本は私が物心ついた頃からずっと我が家にありますが、ページを開いた形跡もないくらい新品のまま経年劣化していました。
・・・多分読んでないと思います。
向こうで、一回くらいは読みや〜と言いながら入れました。
杖もアルミやカーボンなどの燃えないものは入れれませんので、元気な頃に一度だけ登った富士山登頂時に持っていた木製で鈴がついたものを入れました。
鈴は焼け残りました。
お通夜
生前の写真は、出棺前に棺に入れました。それまでは、来られた方にも見ていただこうと簡単なポケットアルバムに入れていたのですが、式場担当の方の提案で、コルクボードに並べて飾っていただきました。
来ていただいた方にも「私が知ってるおっちゃんはこの頃のイメージだわ」、「この時一緒にいたわ」、「この写真いい顔やね〜」と写真を見ながらいろんな時代の父を思い出していただけたので父も嬉しかったと思います。
お通夜は家族と親戚数人で行いましたが、通夜前と通夜後にも何人か知り合いが来てくれました。
みんな父の顔を見てくれて、ちゃんとお別れができることがありがたいことだと思いました。
夜伽
通夜の後、家族と親戚で夜伽のために用意された部屋で通夜振る舞いをいただきました。
広いお風呂に洗面所、トイレにキッチンも備えられた清潔ないい部屋です。
浴衣やお風呂セット、歯ブラシなどもホテル並みに準備されています。
あまりの快適さに母などは、ここで暮らしたいというくらいでした😅
夜伽は最近はされないことも多いと聞きましたが、仕事を終えて夜中に来てくれる友人がいたり、トイレに目覚めては父の顔を見に行って語りかけたりと、それぞれが最後の時間を父とすごせてよかったと思います。
・・・夜伽とはいえ、全員数時間寝ておりますので、正確には夜伽ではないかもしれないです、、。
お葬式
お葬式も人数は少し多いくらいで近くに住む親戚一同が集まった感じでした。
みんなが供花をしてくれたおかげで棺の中の父は沢山の花で囲まれていました。
いとこが本を見つけて「おっちゃん、インテリなん?あの本好きやったん?」と聞くので、「いや、一回も多分読んでないのに捨てたらあかんと言い続けていたから、向こうで読みや〜と思いながら入れてん」というと笑っていました。
悪態をついたり、笑ったりしながらも最後に棺の蓋が閉められる時は胸が締め付けられました。
火葬場へ
斎場の1階の地面でほとんど使ったことのないお茶碗が割られ、いよいよ出棺です。
大阪でのお葬式でよく行く喜連瓜破斎場へ向かいました。
ここまでは納体袋は不要ということで、通常の葬儀とかわりなく執り行うことはできましたが、実は、最後は私たちの見ていないところで納体袋に包まれてから棺の蓋をして火葬場へ向かうそうです。
火葬場との取り決めとのことでした。
そのためか、火葬場で棺の窓を開けての最後のお別れはなく、読経のあと父は炉の中へ・・・
お世話になっている僧侶のお経は天まで届くほどの力強いはりのある声ですので、きっと父を包み込んでくれたことと思います。
精進落とし
火葬が終わるまで、マイクロバスに乗って、公益社のレストランで精進上げをいただきました。
同じフロアに何室か部屋がありますが、満員のようでした。
エンバーミングをしたこともありますが、斎場と火葬場の予約を取れたのもこの日が最短でしたので、かなり混んでいるのでしょう。
出てきたお料理はどれも美味しかったしボリュームがありました。
悲しい時でも人はお腹が空きますし、美味しいと感じるものですね。
初七日
再び火葬場に戻り、骨だけになってしまった父と対面。
もともと骨が丈夫な人でしたが、股関節の丸い骨もとても綺麗に残っていました。
骨の状態だけだと父の望んでいた125歳まで生きれたかも。。
びっくりしたのは父の喉仏です。きれいな形で本当に仏様が座られているようでした。
今まで何度か見たことがありますが、こんなに綺麗な仏様の形は初めて見ました。
少しづつ小さなカケラを集めて骨壷に収まった父を渡された母。
とても熱かったそうです。
埋葬許可証をいただいて、また葬儀場までマイクロバスで戻ります。
道中にだんだんと、あぁ、父はもういないのだなぁという心にぽっかりと穴の空いたような気分になりました。
葬儀場に戻ってからは初七日です。
亡くなってからすでに8日目なので、初七日はすぎてしまっていますが。
丁寧な読経のあと、お供えのお菓子と果物、供花を花束にしていただいたものを列席の親族にお分けして持って帰っていただきました。
後飾り祭壇
帰宅後、公益社では後飾り祭壇を設置しに来てくれます。
仏壇の横に二段の後飾り祭壇が置かれ、遺影、遺骨が一番上に、
下の段には、一汁三菜セット、蝋燭、お線香、花などが。
これらの祭壇セットは公益社が用意してセッティングしてくれました。
四十九日が終わって不要になったら、引き取ってもくれるみたいです。
周りには、お葬式でいただいた供花の花束や、友人からの花が飾られました。
家中が、華やかな百合の香りで包まれました。
四十九日の間までは、この状態でお供えをするそうです。
本来ならば7日ごとに法要をお願いするのが丁寧ですが、最近では隔週にしたりと間を省かれる方も多いようです。
我が家も2週間ごとに僧侶には来ていただいて、その時には親戚も参列、その他の週は母が自分でお経を読んでいました。
四十九日まで
- 位牌
- 満中陰志、祖供養
お葬式が終わってもいろいろ慣れないことをするうちにあっという間に日にちは経っていきます。
毎日のお供えはもちろんのこと、四十九日までの法要も2週間ごととはいえすぐにやってきますので、お花やお供えの準備なども必要です。
そのほかに本位牌の準備や、祖供養、満中陰志、役所への届出などの事務作業なども必要です。
位牌
葬儀の際に用意していただいた白木位牌から四十九日には本位牌に変わります。
位牌は文字を入れてもらわなければいけないので、早めに注文した方がいいと思います。
こちらは公益社さんでもお願いできますが、我が家では法要をお願いしているお寺さんにお願いしました。
ネットショップでも購入できるようです。
サイズによってもお値段はさまざまなようですが、仏壇が小さいので位牌も一番小さなものにしてもらいました。
祖供養・満中陰志
粗供養や満中陰志の用意も必要です。
粗供養と満中陰志、どうちがうのか私にはよくわからなかったのですが、調べてみると下記のような違いがあるそうです。
「粗供養は主に法要でいただいたお供えや御仏前のお返し」 「満中陰志は主に葬儀や告別式などでいただいた香典やお供えなどを忌明けにお返し」
ギフトニシバ「粗供養と満中陰志の違い」より
関西圏では「満中陰志」といいますが、香典返しのことを指すようです。
四十九日が終わってから1ヶ月以内くらいまでに送るのがいいとのことです。
満中陰志には挨拶状と品物を用意しました。
だいたい1/3から半返しが基本だそうです。
お香典だと金額がわかりやすいですが、品物やお花でいただいた時は金額の目安がわかりにくく、ネットで商品の検索をしたりして大体の金額を予想しました。
こちらも公益社でお願いすることもできましたし、挨拶状も作ってもらえます。
カタログギフトなどのネットショップでの注文は挨拶状が無料でついてくるところもあったりと便利そうでした。
私は挨拶状を自分で作ったのでネットショップだと同封してもらえないし、粗供養と満中陰志を両方送る人がいたり、商品券にする人がいたりしたので結局百貨店のギフト売り場でお任せすることにしました。
ギフト売り場で扱っていないものとの抱き合わせだと百貨店内をうろうろすることになってしまって、時間が思った以上にかかってしまいました。
終わってからお昼ご飯を食べようと午前中に出かけたのですが、終わったのが四時過ぎ。
お腹が減りすぎたのもあって、母はクタクタでした。
四十九日の2週間ほど前に行ったのですが、ありがたいことにその後も四十九日前日までお花やお供えをいただき、四十九日が終わった次の日にもう一度百貨店に行きました。
2度目は、段取りの学習ができていましたので、スムーズにできました。
ちなみに百貨店の商品券の購入を考えておられる方は、カードで購入はできませんので、その分の現金を用意していかれることをお勧めします。
私はそのことを知っていたはずなのに、すっかり頭から抜け落ちていて、お支払いの段になって母の持っていた現金と合わせても足りないことがわかって、ATMまで走る羽目になりました😂
四十九日の法要と食事
四十九日の法要には、沢山のお花をいただきました。綺麗な花に囲まれて笑顔の父の写真を見て、胸が熱くなりました。
位牌も本位牌に変わり、仏壇に納められました。
長いようであっというまの四十九日でした。その間、弟妹たちともいろいろ話す機会があってよかったです。
その後は、法要に参列いただいた親族と共にかに道楽で食事をしました。
叔父は生魚が苦手て懐石料理もほとんど口にしないので、こういう時の食事に悩みましたが、かには食べるということだったので、かに道楽にしました。
一番タイミングの良い時間に予約が取れずに少し遅い昼食になってしまいましたが、どれもおいしいと満足していただけたようでよかったです。
今日で一つの区切りがつきましたが、まだまだ事務処理的なことは残っています。
次の備忘録では、区役所への届出などについて書き留めたいと思います。
読んでいただいてありがとうございました。
今回お願いしたお葬式についての感想
最後に今回、初めて自分達が当事者になり、公益社さんで葬儀をお願いしましたが、終わってみての感想をまとめとして書いてみます。
良かったこと
父の姿のままで見送ることができた。
まず一番にありがたかったのは、亡くなった時期、ということが大きかったと思いますが、父の姿のままでお通夜、お葬式ができたことです。
これは本当に大きかったです。
父が入院したのは去年の4月なのですが、それ以来、なくなるまで面会できた日数は転院時の付き添いを含めても7回ほどです。
死に目には会えなかったけれど、最後に会えて触れられたこと、これは何物にも変え難いことでした。
父の亡くなる数ヶ月前に同じようにコロナ感染からお父様を亡くされた知り合いの方は、エンバーミングなどの選択肢がなかったそうです。
その方の当時の気持ちを思うと胸が締め付けられます。父は不幸中の幸いだったのかもしれません。
最初の電話での問い合わせから葬儀後のアフターサービスまでの流れがとてもスムーズで行き届いていた
そもそも何度も経験する方は少ないかもしれませんが、初めてのものからすれば大変に心強かったです。
次に何をするべきかを誘導してもらえるというのはとても安心できました。
最初の受付の電話、深夜の打ち合わせ担当、翌日の葬儀の打ち合わせ担当、当日の会場の担当、葬儀後のアフターケア担当と、担当ごとにプロフェッショナルな感じがしました。どなたも物腰柔らかく、押し付けがましくない、一緒に考えてくれるような雰囲気がよかったです。
アフターケアに関しては、提携している司法書士さんとファイナンシャルプランナーが来られ、必要な手続きや今後のお金のことなどを説明していただきました。
知らないことも多かったので、このサービスがあってよかったと思います。
会場が綺麗だった
なんどか参列者として行ったことはありましたが、その時はわからなかった夜伽の部屋などもとても清潔で、アメニティも揃っており、ゆったりと過ごせる空間だったのがよかったです。
これは、その時の会場によるとおもいます。
写真をボードに飾ってくれるなど、急なことへの気配りがあった。
来てくださる親戚の中には、ずいぶんご無沙汰している方もおられましたので、できればいろんな時代の父の姿を見ていただきたいと、とっさに写真を探してポケットファイルのレフィルに詰めただけのものを持っていきました。
それをみて葬儀場の担当の方が、よければとコルクボードを出してきて父の写真を飾り付けてくださいました。
これが、参列していただいた方々との会話の種になったので、ありがたかったです。
残念だったこと
祭壇のイメージを再確認できなかった
これはちょっと残念でした。最初にカタログを見て選んだのですが、後から供花を選ぶ時にどんな祭壇だったかを確認したかったので、担当の方に連絡したのですが、カタログはありません、写真も見せられませんとのことでした。
一般の葬儀ではなくコロナ感染者用?のカタログだったのかもしれませんが、残念でした。
祭壇の種類が少なかった
これもコロナ感染者用の祭壇?だったからなのか、葬儀場の計器や提携業者との問題なのかはわかりませんが、以前に親戚がした時に見た祭壇のカタログに比べてバリエーションが少なかったように思います。
・・・いいものがあっても予算は限られているので、選べなかったと思いますが、、。
父の経歴などをナレーションして欲しかった(そういうサービスはなかった)
これは、わりとこじんまりした家族的なお葬式の会場で何度か経験したのですが、亡くなった方の人となり紹介するようなナレーションを聞いたことが何度かありました。
その時に、故人の若い頃のエピソードなどを知ることで、身近に感じることができたので、そういうのがあればいいのになと思いました。
同時期にお父様を亡くされた友人のお葬式にはそういうのがあったそうです。
後からアフターケアの方にこの感想を伝えましたら、以後の参考にしますとのことでした。