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大阪の歴史勉強のスタート

2019年8月17日

私は先ず何から始めたら良いのかなぁ?

そうだ、教科書だ!

大阪の教科書を買う

大阪検定公式テキストをジュンク堂に買いに行きました。それは350ページもあり勉強しなければならない事が満載でした。

内容は、国語・社会・体育・芸術と娯楽・生活 そして遠足です。

まず最初から読み始めたのですが、覚えていくのはなかなか大変です。私の脳力 では無理!もう少し効率よく勉強出来ないものか?と考えました。

過去にどんな問題がどんな形式で出題されているのかを知る為に、図書館へ行き去年までの問題集を次々に借りてきました。

そうすると出題頻度の多いものと余り出題されないものが見えてきました。それをノートに書き出して、覚えにくいものは何度も繰り返して読み、間違えるたびに赤線や青丸で印をつけました。カラーペンまで購入、ノートはだんだんカラフルになっていきました。なんぼほど覚えが悪いのか(笑)

また真面目に(?)教科書を読んでいるだけではつまらなく思い、私を歴史好きにしてくれた先生の話を思い出し、ネット検索などでその時代の面白い話などを見つけて読み、記憶に残りやすい様に自分なりに関連付けて覚えました。

まず私の中にすんなりと入ったのは国語の大阪ことばでした。

大阪商人になった父のこと

私の父は8〜9人の兄妹の (私の知っているのは7人なのですが、子供の頃に亡くなった子もあるとか) 次男として農家で生まれました。

一家の後継者は長兄の為に父は大阪に働きに出ました。酒屋で奉公人として勤めた後、主人から支店として暖簾分けをしてもらって自分の店を持ちました。

私がまだ幼かった頃、本店のお家さんが何かにつけてよく来られていました。そんな時、父は「おい!お家さんがお見えやで!」と少し大きな声でみんなに言い、母も緊張してお迎えしていた様に思います。

私の事も可愛がっていただいてたようで「これ、こいさんにあげまっさ」と言って雛人形のお道具の針箱や小さな箪笥などを貰いました。どちらも黒い塗で手のひらに乗るくらいの大きさでした。でもうちには雛人形はなかったので飾る雛壇もなく、私はその針箱や箪笥の引き出しを開けたり閉めたりして遊びました。

それはそうとして私は長女なのになぜとうさんでなくてこいさんと呼ばれたのでしょうか? それはずうっと後になってから思ったことなのですが……

そんなこんなで、私は両親の大阪ことばの中で育ちました。

教科書の中の大阪ことばはみんな馴染みのある言葉でした。