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大阪検定を受けてみようと思ったきっかけ

2019年8月17日

私は大阪で生まれて大阪で育ち、大阪で75年間も生きてきました。

それやのに大阪の事を何も知らんかったんです。

私は大阪検定試験を受けようと思って初めてそんな自分に気が付いたんです。

日本史好きにさせてくれた小学校の先生との思い出

私は、小学校で歴史の授業が大好きでした。先生の授業はまるで講談の時間で、「宇治川の合戦」など今思い出しても楽しい時間でした。

その頃の私達の学校はモデル校と言われていてー何のモデルだったのかわからないんですけどー他の学校の先生がゾロゾロ教室に入ってきて参観をしてはまた隣の教室へ移動して行くといった光景がしばしばあったんです。

その日は丁度、「宇治川の先陣争い」の真っ最中に授業参観の一団が来はりました。先生はセキ払いひとつした後「そういう訳で貴族社会から武家社会へと大きく変化して行きます」と真面目な顔になって黒板の上に長く貼られた年表を指し棒で示しながらの授業に変って…

廊下を歩く参観者の足音が遠退いていくと、先生はちょっと窓からのぞいてその後ろ姿を確認した後教壇に戻り「折角良いとこやったのになぁ」といたずらを楽しむ様に笑顔になり、また講談授業の続きをきかせてもらいました。

お陰で私は日本歴史が大好きになりました。

この授業については私だけでなくクラスのみんなが楽しかった様で、60年経った今も同窓会ではたびたびこの話は出て、誰かが先生の真似をして一同大喝采となるんです。

毎年欠かさず出席されていた先生の姿が消えてしまった寂しさは拭いようも無いんですが、この時ばかりはあの日の先生がみんなの前に立たれているようでみんな楽しくなるんですよ。

そんな訳で大阪の歴史の勉強は私の興味をかき立てました。

けど ー その時になって大阪の事を何も知らん自分に気が付いたんです。

「大阪城は誰が建てたか知ってる?」

「豊臣秀吉やんか」

「違うで。大林組やで」

そんなギャグを言ってる場合じゃありません。

高校卒業後、家の商売を手伝う毎日で会社勤めもしていなかったので、南も北も出かける事がなく、何かで出掛けても家と目的地の直行で周りに目を向けることはないままに来ました。

そして結婚後もまた商売をした為、同じ様な生活が続きました。10年1日の如くに…

日々の買い物さえ「早く帰らなければ、配達の注文がはいっているかも・・」などと気が急き店番と家事に追われて過ごす毎日。そして相変わらず北も南もよく知らないまま日が過ぎていったんです。

閉店をきっかけに得た自由な時間

知らないという事はほんまに恐ろしい。
大阪の恩人と言われている五代友厚さんの名前も知らなければ実家から数分で行ける所にそのお墓があることなど知る由もありませんでした。

五代さんのことはNHKの朝ドラで知りました。それも初めはディーンフジオカさんをかっこいいな〜と思って見ていたら、それが五代さんでした。

折も折、42年間営業してきた店を閉店したこともあり、私は自分の自由時間を持てるという幸運に巡りあえました。今から大阪の歴史を勉強しよう‼︎と意気込んではみましたが、こんなに何も知らんで大丈夫やろか?